2014-08-28(Thu)
落ちついてきました**
こんばんは。ここ3日、ドタバタしてて、今いまやっと落ち着きました。
おととい朝、おじいちゃんが亡くなりました。今でもふっと考えたら泣けてきます。
はっきり言うと別に仲良し、ってわけでもなく、仲が悪くもなく、いわゆる普通に孫をしていたと思います。
今月10日に96歳になって、老人ホームに入っているおばーちゃん以外の家族全員でおめでとう〜と言って、100歳まで生きれるねぇ、と本人にも言っていたばかりでした。
96歳にして、ボケもなく、昨年の春に一度調子を崩し、入院した際も6時間以上の手術に耐え、一ヶ月で退院して家で普通に生活してました。
二世帯なので一階に暮らしてて、30年前に大腸ガンになって以来人工肛門で生活してました。
昨年の体調崩す前まではそれこそ、自動三輪のカブみたいなんで、自分で身の回りのことをすべてこなし、JAに買い物行ったり郵便局行ったり、、と見事なもんでした。
体調崩した退院後は、食事の用意や、便を替える作業など、力のいる作業はヘルパーさんや、お父さんがしていました。
それでも、寝たきりでもなかったので(新聞読んだりテレビみたりご飯も自分で食べれるし、トイレも自分で行くし)と、ほんとにいつも家族みんなは、すごいよね、と関心しっぱなし。
私が、最後に話したのは亡くなる3日前の土曜日。おねーちゃん家族と庭でBBQしてる時に窓からいつものようにおじいちゃんが覗いていて(笑)
お母さんが行ってみてあげて、と言うので30分後。便の確認に行ったら寝てて、汗だくだったので、首元と、額の汗を拭いて、
一度起こしました。
「おじいちゃん。便替えようか?
ご飯食べたん?足の裏にシート貼ろうか?(毎日樹液シートを足の裏に貼るのです)」と聞いたら、
おじいちゃんは、
「ご飯はお腹減ってない。足は父さんに貼ってもらった。便は今大丈夫。 ともちゃんありがとね」
の会話が最後。
その日にお母さんからここ最近おじいちゃんの食欲がないと聞いてて、天気不安定だし大丈夫かね〜とは思ってはいたのですが。
3日後朝8時くらいに足湯でもしようかなと思ってたところ、お母さんから電話かかってきて、びっくり、飛んで帰りました。
お医者さんがきてました。
おじいちゃんは、寝てるかの姿で右側に下向きにベッドにいました。
手触ったら冷たいの。涙しか出ないのをこらえてよく見ました。
頭ぐるぐる。このまままた起きるんじゃないかな、と何度思ったことか。
昨日はお葬式。老人ホームに入っているおばーちゃんも来ました。認知症が進んでいるので、誰のこともわからない。
遺影を見ても、誰かわからない。
でも、亡くなっとんじゃねぇ、可哀想なねぇ。
と。
顔を見てあげて、と車イスのおばーちゃんを旦那衆で持ち上げておじいちゃんの顔を見せた時に一瞬おばーちゃんの動きがとまって、泣いたの。その後すぐ忘れちゃうから、なんまいだぶ〜と言ってましたが、
皆が、一瞬思い出したんだね、と言いました。でも忘れた方が辛くないよね、と。
一瞬でもおじいちゃんの事を思い出せただけでも本当によかった。
一つだけ心残りがあって、8月始めくらいに、おじいちゃんの夕飯の準備して、足の裏に樹液シート貼ってる時(笑)のこと。
「ともちゃん、もう新しい家住みだしたんか?」
「うん」
「ともちゃんの孫が見たいけん、まだまだ死ねんわ〜」
「じーちゃんは大丈夫よ〜、100まで生きれるわいね〜」
って笑いながら言ってたのにね、ほんと。
私の上のおねーちゃんには三人。
下のおねーちゃんには二人。
計五人のひ孫。
私もひ孫を見せてあげたかったな。
それだけが悔やまれる。
ここ2日実家に泊まって未だ、一階からの物音が聞こえてこないのが変な感じ。
慣れるのにまだまだかかりそう。
さーて、気を取り直して、お風呂入りまーす^ - ^
暗くなっちゃった。すみません(._.)
ではまたね♪
おととい朝、おじいちゃんが亡くなりました。今でもふっと考えたら泣けてきます。
はっきり言うと別に仲良し、ってわけでもなく、仲が悪くもなく、いわゆる普通に孫をしていたと思います。
今月10日に96歳になって、老人ホームに入っているおばーちゃん以外の家族全員でおめでとう〜と言って、100歳まで生きれるねぇ、と本人にも言っていたばかりでした。
96歳にして、ボケもなく、昨年の春に一度調子を崩し、入院した際も6時間以上の手術に耐え、一ヶ月で退院して家で普通に生活してました。
二世帯なので一階に暮らしてて、30年前に大腸ガンになって以来人工肛門で生活してました。
昨年の体調崩す前まではそれこそ、自動三輪のカブみたいなんで、自分で身の回りのことをすべてこなし、JAに買い物行ったり郵便局行ったり、、と見事なもんでした。
体調崩した退院後は、食事の用意や、便を替える作業など、力のいる作業はヘルパーさんや、お父さんがしていました。
それでも、寝たきりでもなかったので(新聞読んだりテレビみたりご飯も自分で食べれるし、トイレも自分で行くし)と、ほんとにいつも家族みんなは、すごいよね、と関心しっぱなし。
私が、最後に話したのは亡くなる3日前の土曜日。おねーちゃん家族と庭でBBQしてる時に窓からいつものようにおじいちゃんが覗いていて(笑)
お母さんが行ってみてあげて、と言うので30分後。便の確認に行ったら寝てて、汗だくだったので、首元と、額の汗を拭いて、
一度起こしました。
「おじいちゃん。便替えようか?
ご飯食べたん?足の裏にシート貼ろうか?(毎日樹液シートを足の裏に貼るのです)」と聞いたら、
おじいちゃんは、
「ご飯はお腹減ってない。足は父さんに貼ってもらった。便は今大丈夫。 ともちゃんありがとね」
の会話が最後。
その日にお母さんからここ最近おじいちゃんの食欲がないと聞いてて、天気不安定だし大丈夫かね〜とは思ってはいたのですが。
3日後朝8時くらいに足湯でもしようかなと思ってたところ、お母さんから電話かかってきて、びっくり、飛んで帰りました。
お医者さんがきてました。
おじいちゃんは、寝てるかの姿で右側に下向きにベッドにいました。
手触ったら冷たいの。涙しか出ないのをこらえてよく見ました。
頭ぐるぐる。このまままた起きるんじゃないかな、と何度思ったことか。
昨日はお葬式。老人ホームに入っているおばーちゃんも来ました。認知症が進んでいるので、誰のこともわからない。
遺影を見ても、誰かわからない。
でも、亡くなっとんじゃねぇ、可哀想なねぇ。
と。
顔を見てあげて、と車イスのおばーちゃんを旦那衆で持ち上げておじいちゃんの顔を見せた時に一瞬おばーちゃんの動きがとまって、泣いたの。その後すぐ忘れちゃうから、なんまいだぶ〜と言ってましたが、
皆が、一瞬思い出したんだね、と言いました。でも忘れた方が辛くないよね、と。
一瞬でもおじいちゃんの事を思い出せただけでも本当によかった。
一つだけ心残りがあって、8月始めくらいに、おじいちゃんの夕飯の準備して、足の裏に樹液シート貼ってる時(笑)のこと。
「ともちゃん、もう新しい家住みだしたんか?」
「うん」
「ともちゃんの孫が見たいけん、まだまだ死ねんわ〜」
「じーちゃんは大丈夫よ〜、100まで生きれるわいね〜」
って笑いながら言ってたのにね、ほんと。
私の上のおねーちゃんには三人。
下のおねーちゃんには二人。
計五人のひ孫。
私もひ孫を見せてあげたかったな。
それだけが悔やまれる。
ここ2日実家に泊まって未だ、一階からの物音が聞こえてこないのが変な感じ。
慣れるのにまだまだかかりそう。
さーて、気を取り直して、お風呂入りまーす^ - ^
暗くなっちゃった。すみません(._.)
ではまたね♪
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